化鳥はさすがに疲れ果てたのか、日吉村まで逃げていきましたが、とうとう姿が見えなくなりました。
後に日吉村では、何かと恐ろしいことがおき 人々は化鳥のたたりだ
と騒ぎ立てました。そこで村人達は神官を頼み「日吉大明神」として
まつり、たたりもいつか絶えたということです。
化鳥のいなくなった中山道は安心して通行できるようになり、村人は、馬塚、犬塚もつくり弔いました。
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恵那手作り絵本の会